WBCってどの辺りが古典的なんだろうか? 
そしてNMB仮面の正体は何者なのか!?


テレビをつけてみると「まんが日本むかしばなし」が入っていたので、なんとなく見ていた。
それは今となってはかなり昔のことであるが・・・

その時に見た、「八郎潟の八郎」をダイジェストで紹介してみようと思う。
ちなみに作者の名前はうろ覚えで申し訳ないが、○○四郎だった。八郎と関係があるのだろうか?
そもそも八郎とは一体何者なのか!?兄弟が8人いたのだろうか?そんなことは至極どうでもいいことだったとは、
当時の私には知る余地もなかった。

※この文章は、凡そ3年前、某SNSにて公開した文章に加筆・修正を加えたものです。


Chapter1 〜岩魚〜D.C. Fish


昔々、あるところに八郎と以下2名がいた。
申し訳ないが、その他2名の方々については名前を思い出すことが出来なかった。いうなれば空気である。
今風に言うと、3人でルームシェアをしていたらしい。現代社会をシニカルに反映していると言えるだろう。
この日は、八郎が炊事当番で、火をたいて岩魚を焼いていた。筆者は岩魚を久しく食べていないので羨ましい限りである。

しかし、八郎はどうしても腹の底から湧いて出てくる食欲にかなわずに、二人が戻ってくる前に、
八郎「おいしそうだなあ、おなかもすいたし、食べてしまおう」

開口一番、岩魚を食べてしまった。それが今まで食べたことがないくらいおいしかったらしく、二人の分まで平らげてしまった。
ルームシェアリングを行っているとはいえ時代が時代である。確かに自然が豊かであることは百歩譲っていいとして、
今まで食った岩魚の中で一番美味しいというのは、恐らくは勝手な思い込みであろう。
異様なまでの食への渇望が、彼の味覚をおかしくしてしまったのだろう。ゲオスミンの臭いもお構いなしである。

HUNTER×HUNTER (C)富樫義博 集英社

すると、どうしたことだろうか。八郎は急激な喉の渇きに襲われ、姿は見る見るうちに龍へと変貌していった。

これは他人の食料を盗んだ罪と罰なのだろうか・・・
昨今戦隊モノやら変身モノが増加している(のか?)とはいえ、
岩魚でモデルチェンジ、というのは全く新しい概念であり、筆者の脳でこの先付いていくことが出来るのか、非常に不安であった。
『日本むかしばなし』というタイトルでありながら、早くも逆説的なアプローチを視聴者に投げかけてくれる。


Chapter2 〜放浪〜CaptivAte2〜覚醒〜


龍と化しても喉の渇きは満たされず苦しんだ八郎は二人を置いたまま放浪し、十和田湖にたどり着いた。
当時から湖がこの名称で呼ばれていたかどうかは不明であるが、このシーンだけ妙に現代的である
・・・よく考えたらルームシェアとかやってたし。この人。もう人じゃないけど

ここには大量の水がある。湖にやってきたのだからそうだろう。
琵琶湖には及ばないかもしれないが、青森と秋田とを一部分断するくらいだし、その大きさは伊達ではないだろう。
しかし、平穏のときはそう長くは続かなかった

湖に突如、名前も知らぬ僧侶が現れた(実際はなんか名前あったが、現代語訳するとそういうことらしいので)。
僧侶は、ここを自分の住処とするから、関係のないものは出て行けと八郎に向かって言い放った。

これはどう考えても僧侶が悪い。一体何なんだ? 何系の発想だろうか。
別にこいつが湖を買い取ったわけでも、ましてや不動産のオーナーであるわけもないだろう。

八郎「わしの方が先に来たのだから、出て行く必要はないじゃろう」
住人(この際『人』でいいや。龍って書くとややこしいし。)として至極当然の反応であり、八郎は何も悪くない。
悪くないのだが、何故だか口調が突然爺臭くなってしまった八郎に対して、

僧侶「私は、草履の鼻緒が切れたところを生涯の住処とすることと決めていたのだ。草履の鼻緒はここで切れた。
だから私はここで暮らすことに決めたのだ、出て行ってもらおうか!」


と、自分勝手に決めた制約だかなんだか知らないが、それを他人に押し付け、挙句の果て、八郎を追い出すというのである
もう無茶苦茶だ。八郎も厄介なモンスターペアレント予備軍を押しつけられたものだ

頭にきた八郎は当然、この理不尽な要求を呑むことはせず、僧侶を実力で排除することにした。
龍化した後、いつの間にか雷を操る力を体得したらしい八郎は、これを以って、僧侶に襲い掛かった。

ところが僧侶は、持っていた経文を投げ出したかと思うと、それは9匹の龍に姿を変えた。
多勢に無勢では勝ち目はなく、八郎は為す術なく倒される。
容赦のない熾烈な攻撃が八郎に襲い掛かる。
僧侶自らが取り出したトランプの絵に描いてあるような西洋風の黒鍵が無数に突き刺さった。

ヘルシング (C)平野耕太 少年画報社

冷静に時代を追ってみよう。これはそもそも創世記の伝説的な話であることは創造に難くない。
従って、西洋で言えば明らかに中世以前であり、
どこぞの神父なりシスターなりが好んで投げつけるようなバイヨネットなぞそもそも存在しないのではなかろうか
イマジネーションに乏しい筆者のキャパシティはとうに突破している。エイメン。

結局、八郎は十和田湖を追い出された。


Chapter3 〜犬〜POODLE


傷を癒すべく仕方なく北上川へと逃げた八郎はあるものを見つけた。
この恐ろしげな姿は…だろうか、筆者はそう思った次の瞬間、実はそれが犬であったことが判明した

狼だと勘違いしたのは、やはりこの作品の殺伐とした空気に意識を飲まれてしまったためであろう。
先ほどは、理不尽な要求をしてくる上にチート性能の僧侶を相手にしていたため
八郎が竜化していたとはいえ経験の差で負けてしまった、という印象は確かにあった。
八郎の戦いぶりも決して悪くはなかった。僧侶の能力が高すぎたのだ

今、冷静に考えても、あの僧侶の手際のよさは、間違いなく戦い慣れによるものだろう。
狂信者の手管である
何度も繰り返すが、八郎は決して弱くはない。この点に関しては八郎の名誉のため、強調させていただきたい。

リターンマッチ、もといリベンジマッチの相手が犬というのはいささか盛り上がりにかける、
というかいくらなんでも馬鹿にしすぎである
まるでいつぞやの大晦日にボブ・サップと戦い、あっさりとKO負けを喫してしまったために、
翌年はボビー・オロゴンと戦うことになった某元横綱のような状況である。

唯一違うのは、この対戦カードが作為的に仕組まれたものではないということだ。
いや、それともこの物語の作者によって仕組まれたのだろうか。八百長なのだろうか

その眼は明らかに、八郎を敵としてみているものであった。
今回の相手はただの犬っころ数匹である。しかし、その眼光は飢えた狼そのもの。
例え戦闘能力がそがれてしまっても、闘争本能までは失っていなかったようだ。

ザ・キング・オブ・ファイターズ'94 (C)SNK 画:真行寺たつや 角川書店

ライオンはウサギを倒すのにも全力を尽くすという。
ましてや、自分よりも格下の相手がそうと分かっていながら、それでも尚、自分に立ち向かおうとするのである。
八郎は己の全てをぶつけてその礼儀に答えてやるのだった。








なぜか八郎がやられてしまったあ・・・?あ・・・?


Chapter4 〜涙〜3y3s


その後も行く先々で八郎は煙たがられ、結局、何故か自然の力を使うことなく、KO負けを繰り返していた
いくら岩魚勝手に食ったから罰だからとはいえここまでくると流石に不憫に思えてくる

ふと思う。自然の力出さないんじゃなくて、出せないんだろうか。僧侶に封印されたのだろうか
そう考えると先ほどの敗戦も納得がいく。
TOAにはジェイド大佐が譜術封印されてレベルが40→5に落ちるという凡例があるし、今回もその類だろう。

龍になってからなくなりかけていたわずかな人の心さえも失うほどに泣き続けて、
とうとう涙さえ出なくなってしまった。龍化すると性格まで変化するのだろうか。
そんな描写も設定も微塵にも感じなかった。読み込みが足りないのだろうか。

最初にあった喉がからからだという設定はどこへ行ったのかは分からないが、
今はこのことのほうが彼にとっては重大だったのだ。
これだけ三下相手に負けが込んでしまってはノイローゼにもなりたくなるだろう。
つまり、龍化による性格変化、というよりはマケボノ効果によるものと結論付けられる

彼はふと人間として生活していたときのことを走馬灯のように思い出す。死ぬんかいな。
「いまごろ、あいつらどうやって暮らしているかな…」
しゃべり方が僧侶と対戦したときの老人調だったところがいつの間にか元に戻ってる…。
これは、某吸血鬼漫画において、攻撃を受けるたびに若くなっていくウォルターの例が見つかったので解決した。

そしてようやく2人が話に絡んできた、と思ったら単なる回想に過ぎなかった。
そして彼は心から涙を流したのだった

先刻涙さえ流せなくなったはず
なのに、涙が出てきた。


LIAR GAME (C)甲斐谷忍 集英社


Chpater5 〜希望〜Happy Wedding


人間らの仕打ちに絶望した八郎は、喉の渇きを癒すため、自分で湖を作ることを決意した。
ようやく喉の渇きの設定が生きてきた。というか、今まで忘れ去られすぎだった
都合が良すぎると思うのだが、既にいろいろと破綻しているので気にしないことにする。

川の水を分散させるべく、八郎は山々を崩し、水を氾濫させてしまった
八郎の目線の先におじいさんとおばあさんがおぼれているのが映った。(※無論、八郎のせいである。)
八郎は、これをかわいそうと思ったのだろうか、殆ど人の心を失っていたのだが、この老夫婦を助けたのであった。

ドラゴン化っていうのは一種のキメラ化みたいなものなのだろうか?精神汚染が進むのだろうか
これはTOAのモース大司教の例に当てはまるものとして現在は理解している。

そして、老夫婦は八郎に大きく感謝した。
本来ならば、住む場所も食べるものもすべて奪われてしまったことに激怒するはずだが
非常に寛大な夫婦であると思った。
この点は先ほどわけの分からない僧侶に棲家を奪われたときの八郎とは対照的である。
でかい図体で次々と山を決壊していったのだから、その姿が老夫婦に分からなかったはずがないのだ。

現代風に置き換えると、自分の利益の為にダム建設を予告なしで行い、村を水没させるようなものである。
というか、まんまそうじゃないのか・・・?

キミキス〜various heroines〜 (C)エンターブレイン 作画:東雲太郎 白泉社

八郎は、善意の老夫婦のおかげで人の心を取り戻し、さらには"タツコ"というやる気の無い名前の嫁をもらい、
幸せに暮らしましたとさ。

自分でおぼれさせといて、それを助けて感謝されるという、自作自演の跳梁跋扈だ
しかし、それで図に乗って人の心を取り戻したなどと戯言を言っている。

おまけに、嫁までめとることができていいことずくめである。
八郎の精神汚染はもはや取り返しの付かないフェイズに突入しているようだった。
恐らく人の心は取り戻してなどいないのだろう。

そして、八郎と一緒にいた2人組みは結局最後まで話に関わってくることはなかった

LIAR GAME (C)甲斐谷忍 集英社


あとがき 〜SUPER STARなんとか〜She is my wife


作者がこの話から子供に何を学び取ってもらいたいのかは些か国語力に欠ける某には残念ながら分からなかった。
自作自演によって自らが救われるというストーリーだったのだろうか。
いや、それでも八郎は極限状態の中、くじけはしたものの、自分の生命を賭して懸命に生きようとしていたのかもしれない。
うつむいてはいけない……懸命に生きるその姿こそが重要なのだ!
そして、この作品はTOAのモチーフとなっている可能性が高いことがお分かりいただけたかと思う。

終わり。何だこれ・・・


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