FA日記


8月10日

伐採に関して、寮長の返事としてはもちろんノーだ。
寮生たちの本意ではないことも、合わせて報告する。
たとえ失望されても、拒絶されても。
俺以外の誰かに、この役回りを任せることはできなかった。

一番の懸念事項は、もちろんかなでさんのことだ。
もし正式に伐採が決まったことを寮生たちが知ったら。
最終的には、かなでさんに非難の声が集まる可能性がある。
それは勿論、仁義的にあってはならぬ事。
かなでさんが非難されず、なおかつみんなに納得してもらう方法。

たとえば、非難が集まる矛先を変えるとか。
生徒会主催のイベントとして、ケヤキ伐採式を行うと伝える。
少なくとも、かなでさんに非難の目は向かない。
非難が集まるのは生徒会役員代表である、この俺だ。

しかし。
自分から提案しておいてなんだが、気が重かった。
話がどう転んでも、またかなでさんを悲しませることになる。
悲しませるために頑張ってきたんじゃないのに。

誰がいいとか悪いとか、そういう話じゃないだろ?
ケヤキの木が倒れそうだから、切る。
ただそれだけのこと。

俺はケヤキを切るのには反対だ。
じゃあなぜ、そうしなかった?
なぜかなでさんを説得しようと思った?
俺はただ、どっちにもいい顔したかったんじゃないのかな。
それはそうだ。だが、最後まで、役割を果たさなきゃならぬ。
それが、かなでさんにできるせめてもの償いだった。
これを漢字一文字で表すとすれば「責任」というんですかね?

かなでさんはケヤキと向き合うように佇んでいた。
何を報告するか、それはかなでさんが一番よくわかっていることだ。
悲しそうに、悔しそうに、唇を噛み締めている。
今抱きしめたら、かなでさんはどうするだろう。
でも、俺はもうそんな権利も失ってしまったのだろうか。


8月11日

夜。

こうやって招集をかけることは珍しいことなので、みんなどことなく色めき立っていた。
俺が発言することで、今はまだ穏やかな談話室のムードは一変する。
それでも。やり通さなくてはならない。
俺が決めたことなのだ。

かなでさんと目が合う。
そこに非難がましい色はない。
ただただ悲しそうで、だからこそ逆につらかった。

ざわめきが大きくなる。非難をあらわにする人。
泣きそうな顔になる人。
無反応な人。

そして、
「わたしも、反対です」
「穂坂ケヤキは、寮に住むみんなが守ってきた木です」
「寮長として、伐採を認めるわけにはいきません」
かなでさんははっきりと、そう告げた。

生徒会としては、安全性が確保できないものを放置するわけにはいきません
ここで大切なのは、ケヤキそのものよりも寮生たちの安全です
我ながら淡々とそう告げているものだ。

かなでさんはじっと俺を見つめていた。
なんでこんなことになってしまったのか。
そう思っているのだろう。
俺だって、ずっと同じことを思ってる。

8月30日土曜日、穂坂ケヤキ伐採の記念式典を開催する予定です
なるべく多くの人が参加することを望みます

この大人数を同時に納得させることは困難だ。
納得させることが第一の目的ではないにせよ。
これ以上の発言は最早火種にしかならなかった。
……本当に、難しい。
かなでさんは涙を浮かべて、談話室を出て行った。

かなでさんはケヤキに手をつき、背中を丸めてうつむいている。
わかるよ……こーへーの立場だって。
いじわるしてるわけじゃないって、わかってる
でも……
それでも、一緒に戦ってほしかった
最後まで一緒に戦ってほしかったよ

頬を涙が伝う。
でも―――

何に対して戦うんですか?
自分の意地のために?

みんなの気持ちだってあるでしょ?
卒業していった先輩たちの気持ちだって……

このケヤキがなくなっても、こーへーはそれでいいの!?

いいわけないじゃないですかっ
そんなの、なくなって悲しくないわけないじゃないですかっ

俺にだって思い出がある。
このケヤキの下で、かなでさんに告白した。
あの時、俺は本当にドキドキしたんだ。

もし木が倒れて、誰かが怪我をしたら?
誰かが寮生活を送れなくなったら?
そうしたら……かなでさん、絶対に自分を責めるでしょう?
絶対に、後悔するはずです。自分が寮長になったことを
俺は、そんなかなでさんを見たくなかった。

本当に大切なものは、物でも言い伝えでも名誉でもないでしょう。
寮に住むみんなでしょう?

かなでさんはゆっくりとまばたきをした。
大粒の涙。まつげが光る。

本当ならわたしがみんなにケヤキを切ること、伝えなくちゃいけなかったんだよ……
だって、わたしが寮長だから。そうかなでさんは続けた。

「……ごめん」
「こーへーに嫌な役を押しつけたんだね、わたし」

俺は、生徒会役員ですから。
ただ自分の仕事をしただけです。
なんて言うと、ちょっとかっこよく聞こえるけど。
実際はドキドキだったし、吐きそうだったし。

……それに、今になって思うのだ。
俺は、かなでさんの言う通り、最後まで一緒に戦うべきだったんじゃないかと。
かなでさんの恋人ならそうするべきだったんじゃないか、って。

責任なんてかっこいいものじゃなく、エゴを貫いた。
だからかなでさんが俺に謝る必要なんて、ないんだと思う。

「自分の手で、ちゃんと最後の幕を引くよ」
「だから……見ててほしい」
「わたしが、この子を送り出すまでは」

揺るぎのない声で、かなでさんは言った。

俺は、ずっとずっとかなでさんのことを見ています。
かなでさんが卒業しても、ずっとです。
それが、俺の決意だ。
まあ、漢字一文字で表すなら、「責任」というやつです。


8月29日

ここ二週間、かなでさんは、寮生たちに、ケヤキ伐採の必要性を説明して回っていた。
かなでさんが断腸の思いで決断を下したことは、寮生たちもよくわかっていた。

寮生たち一人ひとりに、納得してもらうまで話し合う。
それはかなでさん自身が決めた、寮長としての「責任」だった。

あとは明日という日を迎えるだけだ。
遊び三昧というわけにはいかなかったが、それなりに充実していた。
欲を言えば、もう少しかなでさんと夏休みっぽいことをしたかったが。

彼氏としては、心残りを覚えてしまう。
本当に、このまま夏休みを終えてしまっていいのだろうか?
俺はまだ、かなでさんとの肝心な約束を果たしていない。
かなでさん、デートしましょう

8月下旬の海。
かなでさんはまさに水を得た魚のごとく、楽しそうに泳いでいる。
ようやく夏休みらしくなってきた。
波打ち際で遊んだ後、二人で砂浜を散歩する。
来る時間が遅かったので、もう日が傾いてきてしまった。
かなでさんのテンションやらバイタリティと反比例して話に動きがないのが真骨頂なのだろうか。

俺は、昔のことを思い出していた。
この島に住んでいた頃のこと。
よくこうやって、一緒に海で遊んでた。
普通の女の子なら怖がるような虫や海生物も、かなでさんはへっちゃらだった。
一緒に男の子みたいな遊びができる女友達は、けっこう貴重な存在だった。

……そう考えると。
かなでさんって、あの頃からあんまり変わってないかもしれない。
いろんな意味で。

―――
しんとした夜だった。
不思議と虫の声も聞こえず、静寂を保っている。
明日になれば、この場所もにぎやかになるだろう。
たくさんの人に見守られながら、ケヤキは最期の時を迎える。

……今は、かなでさんがケヤキと過ごす最後の夜なのだ。

……ごめんね。守ってあげられなくて
みんなの願い事を抱えすぎて、疲れちゃったのかな
ごめんね……

わたしは、この木には不思議な力があると思うなあ。
……だって、本当に叶ったんだもん。

仲の良かった男の子が、転校しちゃったの。
だからひなちゃんと一緒に、このケヤキに祈ったんだ。
もう一度、あの男の子が島に帰ってきますようにってね。

この子がいなくなっても、みんなの思いはなくならないんだよね。
ずっとずっと、在り続けるんだよね。
こーへーのおかげで、それがわかったから……
明日は笑顔で、この子とさよならできる。

かなでさんはゆっくりと目を閉じた。

「今まで、本当にありがとう……」


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