FA日記


6月9日

放課後。監督生室では、生徒会メンバーが忙しく働いている。
俺も9月の文化祭に向けて、少しずつ準備を始めていた。

「樹木医の武田先生からお電話です」
樹木医?

ちょっとね、前から気になってる木があって。
「気になる木」別にギャグじゃないよ。うぇひひ。
だけどタイピングすると誤変換が多いから極力出してほしくない単語ではある。

願いが叶うとされている、あのケヤキ。
歴代の寮長たちが大切に守ってきた木だ。

ごく普通の男子学生たる自分はご多分にもれず、占いや伝説といった
眉唾な話を信じるような性分ではないものの、
毎日見てると、だんだん愛着が湧いてくるから不思議なものだ。
祈るような気持ちで芽吹くのを待っているのだが、なかなかその気配を見せてくれない。
只管打坐の境地にも通ずるところがあるだろう。非常に男らしいイベントである。

かなでさんの顔が思い浮かぶ。
専門医が来ると知ったら、かなでさんもきっと喜ぶだろう。
早くこのニュースを知らせたい。

部屋に戻る前に、中庭に寄った。
ケヤキは相変わらず元気がない。比較的、強くて寿命の長い木だと聞くのだが。
少しくらい動きがあってもいいものなのだが、相変わらずと言って報告することはない。

出入り口のドアから、陽菜がひょっこりと顔を出す。
昨日のバーベキュー大会の写真が貼り出されてるらしい。

写真か。そういや、俺は自分が写ってる写真というものをあまり持っていない。
思い出なんか残しても、無意味だと考えていたのだろうか。

今になって、写真でもなんでも、ちゃんと形に残しておけばよかったと思う。
以前は、こんな風に考えたことなんてなかった。

この学校に来てから、俺は昔のことを少しずつ思い出そうとしている。
ろくに口も聞いたこともないクラスメイトの顔や、思い入れのない行事。

そんなものの一つひとつが、今の俺を形成してるのだ。

なかったことにしたくない。今までも、これからも。

「陽菜、背伸びたな。6年前に比べると」
「当たり前じゃない。伸びなかったら困るよ?」
「そりゃそうだ」

俺は笑った。

俺との身長差は20センチ弱といったところか。
昔は同じくらいだったような気がするのに、いつのまに差がついたんだろう。

「これぐらいが理想かな?」
陽菜の目線が上がり、ぐっと顔が近付いた。

出入り口のドアがぱたんと開いた。
入ってきたのは、かなでさんだった。
俺たちを見るなり、驚いたように目見開く。

「ご、ごめんっ!」
「お姉ちゃんっ!?」

かなでさんは何を思ったのか、逃げるようにして中庭を出て行ってしまう。
俺は冷静にこの状況を分析した。

向かい合い、つま先立ちをして俺を見ている陽菜(意味深)
先日から築き上げられたフラグ(ブラフ)はこうして成就した。
腐ってやがる。

言いながら考える。はたして何を話せばいいのだろう?
どうする…どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする

だいたい、かなでさんが本当に誤解してるかどうかもわからないのに。
ここで必死になると、逆に不自然な気がしないでもない。だけど。

さて、どうしたものか。
かなでさんにとって、陽菜は大事な妹だ。そんな妹に手を出した不届き物、
イコール俺。

いや、手なんか出してないけど、とにかく怒ってる確率は限りなく高いだろう
やっぱり、ここはなんとしてでも誤解を解いておかねば。
俺は意を決して、かなでさんに電話をかけた。

「ただいま電話に出ることができません。ご用のある方は
ピーーーーッという音のあとに」

「いや、バレてますから」

携帯越しに、憤りが伝わってきた。

「ひなちゃんなら、ヨメにはやらないよ なぜなら、わたしのヨメだから!」
それはわかってます。

「わかってるのに手を出したのか、おのれはーっ」

どうやら盛大に誤解されてるようだ。
とにかく、ちゃんと話させてくださいよ。
話せばわかる。浮気が見つかった時の常套句だよなこれ・・・

すぐにベランダの方からガタガタと物音が聞こえてくる。
非常用梯子を使ってくるようだ。俺は立ち上がり、窓を開けた。

「とあああああーーーっ!」
突然、かなでさんが俺をめがけてジャンプしてきた。

「で、話って?」

なんて言ったらいいんだろう。

「とにかく。何もありませんから 俺と陽菜は、そういうんじゃ……」

「別に、言い訳なんかしなくてもいいのに」



かなでさんは、言葉を選んでいるようだった。

「わたしは、ひなちゃんが幸せになってくれればそれでいいんだ」
そりゃ俺だって、陽菜には幸せになってもらいたいと思う。

友達として。

「こーへーは、姉のわたしに遠慮なんかしなくていいんだよ」
「ひなちゃんを幸せにしてくれるんなら、わたしは、それで……」
「わたしからの話はそれだけ。じゃあね」

あの、俺の話は終わってないんですけど

ぐいっ。
腕を引っ張った瞬間、かなでさんはバランスを崩した。
俺はなんとかその体を受け止め、再びベッドに倒れこむ。
図らずも、俺はかなでさんを組み敷くような姿勢になっていた。

一瞬だけ、時が止まる。お互いの息が当たるほどの距離。
みるみると、かなでさんの顔が赤くなっていく。

いつも元気なかなでさんの目が、やけに弱々しく震えている。
初めて見る表情に、どきっとした。

「う…… ごめんっ……!」
かなでさんはするりとベッドから抜け出し、逃げるようにはしごを上って行った。


6月10日

翌日。いつものお茶会メンバーに一番元気な人の姿がない。

ほかのみんなは気にしてないようだが、今日はいつもより静かに感じた。
お茶会が終わったあと、部屋を出て談話室に向かった。

今日は「どすこい! 横綱刑事」の日だ。
かなでさんと一緒に観てからというもの、続きが気になって毎週追いかけてる。
まんまとかなでさんの思惑に乗せられた気がしないでもない。
自分で言うのもなんだが、気でも狂ったのではないかと思う。
ここで”気”って書こうとするときに”木”に変換されるのだから本当に面倒くさい。

談話室のドアを開けると、かなでさんが立っていた。
こちらに背を向けているので、まだ俺には気づいていない。
いったい、何を見ているのだろう?

俺は、壁に目をやった。
たくさんの写真が貼り出されている。バーベキュー大会のものだ。

どの写真も、かなでさんはみんなの真ん中にいる。
かなでさんを中心にして、笑顔の輪が広がっている感じだ。
寮生たちから慕われているのが、写真を通して伝わってきた。

お茶会に来なかった理由を尋ねてみたが、かなでさんは歯切れが悪そうに。
「あぁ、ケヤキの世話とか、いろいろあって」というきり、会話も途切れてしまった。

なんか、いつもの雰囲気じゃない。
もしかして昨日の陽菜の件、まだ引っかかっているのか?
いまだに陽菜の姦計に惑わされている自分。
石兵八陣を抜け出せる日はいつのことのなるのだろうか。

かなでさん、そろそろ『横綱刑事』が始まりますよ。
先週も二人で、わーわー言いながら観ていたのだ。

えっと……
今日は、ちょっと用事があって観られないんだ。

そう言って、かなでさんは足早に談話室を出て行ってしまった。

俺はソファーに座ってテレビをつけた。
別にドラマなんて、部屋で観ればいい。
でも俺は、談話室に来た。

かなでさんと一緒に観たほうが楽しいからだ。
二人で、あーだこーだ突っ込みながら観ることに、意味があるのだ。

でも、どうやらそう思っていたのは俺だけだったらしい。
俺はテレビを消して、立ち上がる。
と自分に言い聞かせてみるものの、一番の理由は陽菜絡みであることは間違いない。
サンドイッチでもぶつけてフラグクラッシュしてやろうか。

ふと、バーベキュー大会の写真の前で足が止まった。

得意げにステーキを焼いている会長。
仲良く野菜を切っている白ちゃんと副会長。
真剣な顔で火をおこす東儀先輩。
その隣で、前髪を焦がして慌てる司。
おにぎりを握っている陽菜。
…。
肉を焼いているかなでさんと、その隣に立つ俺。
俺の中のかなでさんのイメージは肉食獣として固定されているのだろうか。

写真の中の俺は、馬鹿みたいに楽しそうだ。
こんなに笑ってる俺の写真って、けっこうレアかもしれない。
俺はしばらくその写真を眺めてから、談話室を出た。


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